No 267 December 17, 2010
The Japanese Spirit
Occasional thoughts :
“A Gull at the Hama-koshien Shore”
—Not to be sad, I will bring your sad branches far over the sea and above the heaven.—A seagull at the Hama-koshien Shore.
By Hideki Kubota
1. A Seagull.
This town----, that town----. A seagull nose dived and zoomed repeatedly from heavens to far below the towns. It is my pleasure to fly freely in the sky, hearing the wind sound, going flying through the air. I perfectly felt freedom, and above all things, even for a moment, completion through flying high up in the air to become purified myself and crystallize the sacred in my mind. I thought I wonder if I am becoming the sacred in the air. Well, why do I nose-dive and zoom to the towns, fearless, just feeling like the king of kings, because he could continue to fly in solitude, and those towns are confused, ugly and scandalous which are beyond all imagination. It is very fortune for me to have wings which let me take the spirit to live powerfully. Why have I wings ? Blessed by God. And, I have recognized only one way to live eternally. I have been possessed by the wraith, the sacred spirit.
The Japanese Spirit
Library in Japanese
The Japanese Spirit has set up the homepage by the novelist Mr. Kunihiro Sasaki. He has written the Japanese mind by the motives influenced subtleties related oppressed emotions between a man and a woman. His books will be introduced seriously. About his literary style, love in the stories symbolically has been cohered and compressed, transcending lives of each other, through various situations, bitter, solitary, sad, and others. Finally, suffering very difficult situations, they gave both up knowing they might never see each other see again, In spite of recognizing the truth of love in the bottom of each mind both couldn’t believe in each. Because their worlds, not individual ,are vague to the end. A man and a woman has fingered the purified love supported by each other. Suffering their difficulty unclear and both would grope in spiritual darkness. His motif is related to life and death, based on naught. He has crystallized the Japanese love of man related to woman icy love. Mr. Sasaki has written symbolic novels of the Japanese inner lives.
The Japanese Spirit Publisher/Editor: Hideki Kubota
1-26-1407, Takasu 2-chome, Nishinomiya 663-8141 Japan
Phone: 0798-49-5886
Fax: 0798-49-5838
The Foundation Issue was published on June 15, 1991
The date of our next issue will be on February 15, 2011
鬼灯(ほおずき)
一
伴内耕治(ばんないこうじ)の父圭介(けいすけ)は、その年の六月初め、八十五歳で他界した。淡路島は志筑(しづき)という町に生まれ育ちながら、三男坊であったために同郷の友枝(ともえ)と見合い結婚してすぐ大阪に出、薬問屋で働きだしたが、日支事変に狩り出され、翌年には傷痍軍人として帰還した。その後は近畿圏内で家庭常備薬の行商をしていたが、敗戦とほぼ同時期に小さな印刷会社に転職し、程なく妹の昌代(まさよ)も生まれた。
四十九日の法要も済んで友枝は夫圭介の墓を島に建てるべきか、自宅のある吹田(すいた)近くにすべきかを、長男の耕治に相談をもちかけてきた。
耕治は亡父もさぞ故郷の土に還りたいだろうから、志筑の方が妥当ではないかと言ったのに対して、友枝は本家筋に気がねして墓参りするのは気が重いし、遠くなっては何かと行きづらくなるのではと難色を示した。
そこで耕治は妹の意見も聞くべきだとして、高槻に住む昌代に電話をかけたところ、彼女は即座に母の意向を尊重する他はないと答えた。結局、墓所は北摂地区で探すことに決め、近所の石材店に問い合わせたり、折込みチラシに気を配ったりしているうちに、京都西区にあるS寺で売り出し中の霊園が眼に留まった。
休日に耕治は昌代と連れ立って下見に行き、眺望もよくお互いに気に入ったので相応の手付金を渡して契約書に署名し、その旨、友枝に報告した。それから、四、五日経った夜、友枝から茨木(いばらき)の耕治宅に電話がかかってきた。
—------ああ、兄ちゃんか------。
友枝は息子のことを「兄ちゃん」と呼んでいた。電話ではいつも喋るテンポが遅く、声は濁っている。
—------あのな、あんたの都合のええ日でええんやけど、いっぺん本家の墓参りに連れて行ってくれへんか。お父ちゃんが死んだ時、本家にゃお供えもんや何やで世話になったしな。あんたも志筑はんつかしいところやろ。ついでにあの家も見たいし------。ひとり行くちゅうても、こないに足が弱なってしもうてはなァ------。
耕治にすれば、その母の言草はいささか意外だった。常日頃から本家というところは敷居が高いとか、そんな類の不平を洩らしていたからだ。それも伴侶を失って、気の張りも弱くなったのかという気がしないでもなかった。
志筑が懐かしい町だというのは、太平洋戦争の末期、母子がその漁師町の一角に陋屋(ろうおく)を借りて疎開していたからだ。当時、大世帯の本家に厄介になるわけにいかず、圭介が知人の間を奔走して借家を見つけてきたのだ。耕治にとって、少年時代の思い出といえば、戦争中の島での出来事だった。------それは闇の中で奇妙にざわめきうごめくもの、燠火(おきび)のように鈍く光っているもの、鈍い物音などがまじり合って、記憶の奥深い処で眠っていた------。
耕治は母の頼み事を聞き入れることにした。お盆が過ぎてからがよいというので、八月の下旬になって、妻の絹子に事情を打ち明け、勤めている商社の夏季休暇をとり、母子で島に渡った。
岩屋からバスで志筑に着くとタクシ–を拾い、山麓にある伴内家を訪ねた。早速、先祖の墓参りを済ませ、戸主の隆行と近況など語り合った。
別れ際に耕治は、かつて疎開していた漁師町がなつかしいのでぶらついてみたい、母もそのつもりなのでというと、隆行はそこまで送ろうと、自家用車に乗せてくれた。
母子が下ろしてもらったのは、通称弁天さんと呼ばれていた小祠の傍らだった。周囲は夾竹桃(きょうちくとう)が植わっていて、その石垣の下に疎開していた小家があった。ところが、石段を降りていくと、そこはもう空き地になっていた。数年前のこと、耕治が法事の帰途、立寄った折にはお好み焼屋だったはずだ。友枝はその場に立ちすくんで、手提げバッグを持ち日傘をさした影も縮こまって見えた。
—何も無うなってしもうて------なんとまァ------。
ぽつりと呟いた友枝はよろよろと歩きだし、
—このへんに井戸があってよ------ほいで------むこうは浅田さんの家やった------。
友枝はいっとき感慨深げにあたりを見渡しては、独り言のように説明してみせた。
—そいで兄ちゃん、覚えているかいな。前の溝あるやろ、あそこであんたは火箸とバケツもって一日中蟹とっとったわ、まっ黒になってなァ、フッ。
と含み笑いを洩らした。
強い日射しをうけて、友枝の額に汗が滲んでいた。彼は扇で母の方へも風を送ってやりながら、喫茶店で休んでいこうかと気を利かせたつもりが、
—わたしゃ、これからかんじんなことせにゃならんでな、サ、行こか。
と言って先に歩きだした。路地を抜けると街道筋に出て、だらだら坂を登りきると、八幡さんという祠に至る。疎開していた頃、小学生の一年だった耕治はその丘陵地へ近所の子供らとよく蝉取りに出かけたものだった。或る時、艦載機に狙われて、恐ろしい目に遭ったこともある。
八幡さんの手前のところで道は二手に分かれていて、友枝は祠の方へ行かずに、意外にしっかりした足取りで左手に折れ、更に海に向かう小径に入っていった。そこは耕治の知らない場所だった。やがて潅木の茂みの中に狭い畑地が現われた。
友枝は畑に着くと、手提げバッグからプラスティック製のスコップとポリ袋をとりだし、そこの土を掬(すく)って袋へ詰め始めた。
耕治は怪訝に思い、
—なんでそんな土を持って帰るんや?
と尋ねても、友枝は答えようとせず、土を収め終えると、「ヨッコラショ」と掛け声をあげて立ち上がり、
—ま、そのうちわけを話すさかいな。
とだけ言って、元きた道を引き返し、八幡さんへ寄った。賽銭を投げ入れて、一心に掌を合わせ、ぶつぶつ何やら、口中で唱えているうちにその場にしゃがみこんでしまった。もう一度拝み直して、友枝は眩しげに周りの樹木をふり仰いでいたが、その目尻にはうっすらと涙が光っていた。
二
昭和二十年三月頃から、各地で空襲が激しくなってきたので、友枝と耕治の母子は大阪から淡路島の志筑へ疎開した。父の圭介は北支の戦場で二の腕に弾丸が貫通したため、不自由な手のまま薬の行商を続け、たまにしか顔を見せなかった。
そこは漁師町にある、二間しかない陋屋で、母子は膝突き合わせるように細々と生活していたが、父の稼ぎもあてにはできず、程なく友枝は料亭の「大黒屋」へ賄いの手伝いに出るようになった。時々、酒の臭いをさせながら帰宅したので、酌婦紛いのこともやっていたのだろう。ひとり留守番をする耕治は、夜が更けるにつれて、心細く淋しくなり、ひもじさのあまり居たたまれなくなると、橋の袂にあう「大黒屋」の近くまで出向いていった。
そこは橋の中ほどからが一番よく見えた。障子の灯影に、時には開け放たれた窓辺に、客と仲居らしい人の影が現われたり、消えたりした。日によっては三味の音や手拍子が聞こえてきたが、母らしき姿は見えなかった。
島にも時々、空襲警報が鳴り響いて、「大黒屋」の経営も危ぶまれた。サイレンが鳴り、電灯も消えてしまうと、彼は昼間、捕らえた赤蟹をバケツに入れたまま、海岸まで運んでいった。波打際に草履のまま入り、蟹と戯れようとするのだが、すぐ飽きてしまい、もの淋しさのために、果ては腹立ちまぎれに、その蟹を海中に投げこんだり、足で踏み潰してしまったりした。
友枝は土曜日の夜など、家を空けるようになった。耕治にすれば母が帰宅するまで寝つけないことが多く、同級生の浅田治の家を訪ねていくことはあっても、夜遅くまで遊んでいるわけにはいかなかった。その心細さや不安はたとえようもなく、覚束ない明かりの裸電球の下、ひとりまんじりともせずに涙ぐんだ。
朝帰りした友枝は「すまなんだな」と謝り、必ずといってよいほど駄菓子の土産を携えてきて、言い訳がましく宥めたり、すかしたりした。
或る夜、またも朝帰りかと半ば諦めかけていたところ、友枝は痩せた一人の男を連れてきた。耕治が会ったこともない男で、年恰好は母と同じぐらいだが、どことなく品があり、物静かだった。友枝は既に微酔を帯びていて、男の携えてきた焼酎か何かをコップ酒にしながら、卓袱台(ちゃぶだい)を囲んでぼそぼそと話し始めた。
耕治にすれば、漠然と「大黒屋」の客を連れてきたのだろうぐらいにしか思わなかった。隣室の蒲団に横たわり、時々盗み見ていると、友枝は何やら熱心に男に語りかけていて、その眼付は尋常のものとはいえなかった。さりとて二人が気易く談笑し合っているような雰囲気でもなく、どちらかといえば言葉少なげに特別なことを相談し合っている風にもうけとれた。
数日後、耕治は男のことが気になったので、尋ねてみた。すると友枝は、
—あのひと、美術の高山先生いうてな、三年前に奥さんを亡くさはったらしいのよ。何やしらんけど、死んだ兄さんによう似とるわ。バイオリンも弾くんやて、感じのええ先生やろ?
どこで知り合ったのかも言わないで、多分「大黒屋」だろうと耕治は直観して、
—あの先生、お客さんか?
—ああ、そうや。たまに飲みにきはるけど、お前はそんなこと知らいでもええ。とにかくやさしい先生や。男前やしな。ほんで、このあいだ、あれくれはったんやで、見てみ。
そう言って友枝は桐箪笥(きりだんす)にたてかけてあったスケッチ帳を持ってきて開いてみせた。そこには水彩画で鬼灯の絵が描かれていた。
—この絵、見せてくれた時、お母ちゃんがものすおうほめてあげたら、あげるいうて、あっさりとくれはったんや。気前ええちゅうんか、もうこっちがびっくりしてしもうてな。
友枝はスケッチ帳を何度となくめぐっては耕治に見せて、その高山とかいう先生のことをしきりにもちあげるのだった。
それ以後、高山が家に現われたことはなかった。友枝がひそかに会っていうのかどうかもわからなかったが、彼は意外に近くに住んでいることが分り、胸の病とか喀血(かっけつ)して島を離れた、という噂が流れてきた。
島でも空襲警報の鳴る日が多くなった。尼崎かどこかに焼夷弾が落ちて、その方面の夜空が灼けているのを、海岸まで見物に行ったこともある。
ところで、あの一夜のことを耕治はどうしても忘れることはできなかった。その頃、友枝は体の不調を訴えて、「大黒屋」を休むようになった。耕治も心配になって、学校から帰ると、努めて買物に行くようにしていた。鰯の丸干しをカンテキ(七輪)の炭火で焼いたり、井戸の水汲みを手伝ったりした。
友枝は雑炊を食べても吐いてしまい、妙に気分が悪いとか、下腹が痛むとか訴えられても、耕治はどうしてよいか分らず、隣家の浅田の母親を呼びに行ったりすることもあった。すると後で友枝は余計な真似をするとか言って、ひどく怒るのだった。どうして叱られたのか不可解でそれからは少々苦しんでいても見過ごすようになったが、やはり気になって仕方がなかった。
夜の七時か八時頃だったが、友枝は台所にあった漬物石を何度も持ち上げたり、下ろしたりし始めた。耕治はその母の仕草をまんじりともせずに見守るだけだった。そんな奇妙な動作をするのは、その夜ばかりではないことに気づいたが、一体、何のためなのか分らなかった。
しばらくして友枝はついと家を出ていってしまった。耕治は気がかりのあまり、あちこちと夜道を駆け回って探してみたが見つけることはできなかった。彼は泣きたくなるほど不安になった。念のため、橋を渡り「大黒屋」の主人に確かめてみたが、知らないとの返事だった。
どのくらい経ったのか、戸が開く音がして、おうやく友枝が戻ってきた。幾分、顔は青ざめて髪がほつれ、まるで亡霊のようだった。
—お母ちゃん、どこへ行ってたん?
彼女は上がり框(がまち)に腰かけるのもやっとの有様で、返事もせずに足をもぞもぞさせているばかりだった。もう一度、耕治が半泣きの声で問いかけると、
—そこの八幡さんやがな------。
—こんな暗いのに、怖なかったか、怖かったやろ?
—ああ、怖かった------。
とぽつりと言って、深々と溜息をついた。そのまま身を横たえていた友枝は何思ったかやおら起き上がるや、箪笥から手拭いを二、三本ひっぱりだしてきて、
—耕治これから海へ行こ。一緒に行ってくれへんか?
—海へ? 今からなんで?
どうしてそんな時分」に母が海へ行こうなどと言いだしたのか解せないまま、ともかく一緒に家を出た。半月が出ていて、静まりかえった漁師町の家並みをすり抜けて砂浜に着いた。磯の香りがぷうんとにおってきて、人の気配はなく、海岸線が仄(ほの)明るかった。
友枝は白砂にめりこむ足をひきずり、大儀そうに歩いて、波打際に達した。幾分呼吸を乱し、沖合を眺めていた。そこには漁火がわずかにきらめいて波音さえ聞こえなかった。と、不意に友枝は藁草履を脱ぎ捨てるや、
—これを持っててな。
と耕治に手拭いを持たせておいて、裾をからげざぶざぶと海の中へ入っていった。驚いた耕治は思わず前のめりになって、
—お母ちゃん、何すんの? そんな、入ったらあかん! やめとき、お母ちゃん!
と手を差しのべた。咄嗟に母が死ぬのではないかと惧れ、誰かを呼ぼうとしたが、近くに人影は見当らなかった。友枝はふり向きもしないで、ずんずん深い所へ進んでいき、腰のあたりまで水に浸ってしまった。
—お母ちゃん、はようあがっておいで! 危ないから、はよう、そんな行ったらあかん!
勢い彼も海に入りこんでしまい、地団駄踏むように必死になって母を呼び返そうとした。すると友枝はくるりとこちら向きになり、何か腰を振るような動作、両手で下腹をまさぐるような仕草をくり返した。月下の海辺で見る母の顔は何やら口の裂けた鬼女のように映った。耕治はまるで母の口から血が滴っているのではとぞっとしたものだった。
それから友枝はゆっくりと波打際の方へ戻ってくると、衣服から海水がボタボタと垂れて、生白い、あまりにも白い大腿が妖しく異様だった。その濡れ光った脚を、耕治から手拭いをひったくるようにして荒っぽく拭い始めた。彼には母が何のためにそんなことをしたのかまるで見当がつかず、てっきり母は狂ったのだと身が震えた。
—あれ、見てみい。焼夷弾が降っとるわ。きれいなもんや。ほれ、あそこに------。
母の指差す方角を見ると、闇の彼方に音のしないまま、まるで花火のように火の粉が降り続けた。大阪か神戸か、空と海の境がぼおと赤黒く染まっていた。
—あれ、どのへんかな? お父ちゃん、大丈夫やろか?
—お父ちゃんはな、都会は危のうなったいうて、今はこの島を回ったはるさかい、心配いらんわ。あの火事のとこにはおらへん。—この島も空襲あんの?
—さあ、どうやろ? もし空襲で家焼かれたら、ここへ来たらええ。海の中へ逃げてきたらええんや。
友枝はそう言って淋しく笑いかけ、手拭いを絞って、灼けた空のほうに見入った。程なく近所の人たちがぞろぞろと海岸へ出てきて、急にあたりがざわめきだした。
もう帰ろうと促して、友枝が砂浜を歩きだした途端によろけたので、耕治は慌てて母の手を握りしめた。その手はひんやりとして柔らかだった。
その後、高山先生は都会の病院へ療養に行ったきり消息がわからなくなり、噂も遠のいていった。それと共に、友枝は「大黒屋」から帰宅してもたいてい酔っていた。店の客入りも悪くあり、首になりそうだからと言い訳した。夜更けて井戸の蛇口に口を付け、水を飲んでいる様を見かけたこともあった。耕治は子供心にも毎日のように、
—大丈夫か? あんまりお酒飲んだらあかん------。
とか説教がましく言いつのっても、友枝は充血した眼をうつろにさせて、
—先生、呼んできて------ここへ高山先生呼んできて------ほんならお酒やめるさかい------。
と無理難題を吹きかけては耕治を手こずらせるのだった。それで耕治は母が先生のことを好いていたのかとおぼろげながら分かってきた。あの奇怪な夜の出来事と高山先生とは何か関係がありそうな気もしてくるのだった。
母子が志筑に疎開してから、父の圭介はこの島で薬を売る方針に切りかえて島内を巡り歩くようになったが、ひと月に一度ぐらいしか家に立寄らなかった。
昭和二十年の八月にもなろうとする頃だった。圭介が暑い真っ盛りにひょっこり妻子宅に舞い戻ってきた。友枝は夫の顔を見るなり、実入りが少なすぎるとか詰(なじ)って、夫婦が諍いを始めた。
—遠いとこやあるまいし、なんでもっと家に戻ってこんのよ!
—そう度々家に寄っとったら、商売なんかでけるかい!
お互いに口汚く言い合った挙句、圭介はその日、泊まっていこうとしまかったので、余計に友枝を怒らせた。
何やら怒気も収まらないまま、圭介は家をとび出す直前に、耕治を手招きして戸外へ連れだした。自分に従いてこいと合図をしたのだ。耕治は珍しいこともあるものだと、何事かと父の後に従った。四ツ辻を少し北へ上がった角の駄菓子屋で圭介はアイスキャンデ–を三本買った。そのうちの一本を耕治に与え、もう一本は自分がしゃぶった。残りの一本は母のところへ持っていくのだろうと予想した。ところが、圭介はさっさと弁天さんの境内に入っていった。
お堂の前に藤棚があり、そこのベンチに若い女がざんばら髪で藍の着物の前をはだけたままけだるそうに座っていた。圭介はその女に残りのキャンデ–を渡したのだ。耕治は思わずこの女は誰なのかと問いかけようとしたけれども声にならず、化粧気もない女は耕治を見てニヤニヤ笑っているだけだった。耕治はきまり悪くなって、蝉のありかを探すふりをして青空を仰いだ。
圭介は女に目配せするや、二人は貸家とは反対のほうへ歩きだし、ややあってから父親だけが振り返りざま軽く手を振って見せた。耕治はアイスキャンデ–をなめながら、二人が去っていく後ろ姿を見送った
そこから望める大阪湾はギラギラと照り輝き、彼は眉をひそめて熊蝉の鳴き声が暑苦しく高鳴ってくるのを聞いていた。
三
友枝は奥座敷の床の間に亡父の骨箱を据え、一段下がった板の間に、島で採取した土を入れたポリ袋を置いていた。
耕治は母がいつか事情を話すと言ったので待っていたが、一向に打ち明けようとしないので、そのことに触れると友枝は途端に口を鎖(とざ)してしまい、微苦笑をうかべるだけだった。嘘をついたのかと耕治は不服顔をつきつけ、更に追及すると苦笑交じりに、
—お母ちゃんはな、あの画の先生のことが好きになってしもたんや。お父ちゃんとはお見合いで、顔もみんと一緒になったけど、好きでも嫌いでもなかったわ。お父ちゃんには悪いと思うたけど、しょうがなかった。お父ちゃんも好き放題やっとったしな------。そこまでいうたらわかるやろ。これぐあいでかんにんして------。
と言い淀んだ。事実とすれば、あれが母の最初にして最後の恋だったのかということまでは納得できた。どうしても解らないのは、採ってきた土のことだった。
そのことを妹の昌代に洩らし、何か女として分かるかと尋ねると、彼女は次のように推理した。
—それ、お母ちゃんの秘密の秘密やわ。お父ちゃんが死んでしもたから、こんなこといえるのやけど、お母ちゃんはな、その先生とできてしもたんや。きっとそうやで。子供なんか生まれたらえらいこっちゃないか、それで流してしもたんやろ。その場所があの畑とちゃうやろか。お兄ちゃん、今頃そんなことほじくり出さんでもええがな。もうすんだことや。よっぽどあの先生のことが好きやったのやなァ。かわいそうに------。
耕治は妹の解釈を聞いてなるほどと思った。あの不思議な夜の出来事の縺(もつ)れた糸が解(ほぐ)れてくるような気がした。それでも、なぜ土をもってきたのか、あの土をどうしようというのか、依然として謎のままだった。だが、それ以上、母の傷口に触れてはいけないという妹の忠告を受けて、そのまま遣り過ごした。
新墓は広畑石材店というところに依頼し、その営業担当者から墓は九月半ばに完成するけども、遺骨はいつ納めればよいのかと問い合わせてきた。できればお彼岸がふさわしいと勧めるので、秋分の日にと申し合わせた。
納骨の当日、友枝」は供花に風呂敷包みと土を入れたポリ袋、耕治夫妻は友枝の代わりに骨壺と白百合と樒(しきみ)、昌代は白蘭や線香を携えてきた。最寄のM駅からタクシ–に乗り、十分ほど田園地帯を走り抜け山麓のS寺に着いた。
寺には石材店の妹尾(せお)という営業部長が待っていて名刺を差し出した。気楽に世間話を交わしてから、池の辺りをめぐり、小丘にある霊園に向かった。
造成されたばかりの墓域にまばらに石塔が点在し、中央付近に「伴内家先祖代々之墓」と彫られた、真新しい墓が建っていた。
妹尾は白手袋をして墓石の基部にある扉を開け、仄白い円筒容器を取り出した。それから白木に入った骨壺から骨片をその容器に移しかえた。それを墓石の下へ戻そうとした時、友枝が慌て気味にふり向き、
—ああ、あの土を------。
と促した。耕治は軽く頷いて、ポリ袋を友枝に手渡すと、友枝は、
—この土を敷いてください。
と妹尾に告げた。妹尾は一瞬怪訝な表情をみせたが、強いて質そうともせず、袋の中の土を落とし入れた。
—それと、まだちょっと待ってね。すいませんけど------。
友枝は風呂敷包みから何やら画帳のようなものをひっぱり出した。それを墓の前の通路に広げてみせた。古びた紙質に鬼灯を描いた水彩画が現われた。あの高山という先生から貰ったという絵だった。友枝はそれに視入ってから、マッチを二、三度すり、火を点けた。炎に焼かれつつ鬼灯は弾けて血を吐いたように見えた。友枝ははにかむような表情を浮かべて、
—すいませんけど、この灰も収めてくださいな。
と言ったのだ。耕治はいささか呆れて、
—そんなもの------。
とおしとどめようとしたけれども、妹尾はそれに構わず、
—この灰もですよね、よろしゅうございますよ。
と手早く灰を寄せ集め、墓の下にばらまいた。その上に骨の入った筒を置き、扉を鎖してから、数珠をまさぐり、何やら口中で唱えた。他の人もそれに倣った。
—これで何もかも済んでしもうたわ------。
友枝はしみじみとした口調で呟き、裏手の竹薮の方をうち仰いで、ふっと吐息を洩らした。
帰り途、M駅近くのレストランで蕎麦定食を摂(と)った。耕治の妻の絹子が友枝の顔色をうかがうように、
—お母さんも淋しくなりますね。
すると、友枝はうっすら皴の見える口辺をもぐもぐとさせて、
—しょうがないことやね。淋しゅうなるけど、ひとりでがんばらにゃ。
—なんやったら、うちへ来てもろてもええんやけど、うちへ引っ越してくるか?
耕治は気を利かせたつもりで問い直した。
—いいや、気い遣うてくれるのはありがたいのやけど、ひとりの方が気楽でええわな。今更、みんなの世話になるのも悪いでね。
と淋しく笑ってみせた。
—お母ちゃんが、そんな気ぃやったら、しょうがないわ。当分、ひとり気楽にやってもらいましょ。
と昌代が応じた。
—これで、一件落着か------。
耕治はそう呟いてお茶をすすり、せわしげにタバコをくわえた。あの絵のことには、誰も触れようとはしなかった。
ひと月ばかり経ってから、広畑石材店から墓石代の請求書が耕治のもとへ郵送されてきた。購入契約書には彼の名前で申し込み、署名していたからである。あらかじめ友枝から、圭介は葬式代や仏壇代、墓代まで用意して死んだからと聞いており、勿論、友枝が総費用を払うことになっていた。
彼はその夜、請求書が届いたことと、金額を伝えようと友枝の家に電話をかけた。ところが、いくらかけ直しても、発信音は鳴りっぱなしだった。翌朝も早目にかけても出なかったので、いやな予感がした。念のために昌代の方に問い合わせてみたが、心当たりがないとの返事だった。
二日目の夜も電話が通じなかったので、これはおかしいと三日目になって絹子に、吹田にある友枝の家の様子を確かめに行ってもらった。商社から帰宅した彼に絹子の告げるには、きちんと鍵がかかっていて、玄関の戸を叩いても、ベルを鳴らしても応答がなかったという。耕治はすぐさま昌代を自宅に呼んで、相談し合った。もしものことがあるやもしれぬので、明日にでも窓の戸を破ってみようと話はついた。みんな不穏な事態を予想して、暗鬱な顔をつき合わせ、溜息ばかりついていた。
時計の針が九時三分を指した時、電話のベルが鳴った。絹子が受話器に飛びついて、
—まあ、お母さん! どうしてらっしゃったんですか? みんな心配してたんですよ。
二言三言、言葉を交わしてから、耕治に受話器を渡した。すると、電話の向こうで、少々かすれた声の、悠長な口調がはね返ってきた。
—ああ、心配かけてすまなんだな。このあいだ、千代子の息子、ほれ智治が車で来てな、ちょうど、田舎へ帰る用事ができたさかい、一緒に行かんかいうて、どうしても行こういうてよ、ほいで車に乗せてもろて、今、千代子の家に居るんよ。連絡せんと悪かったか?
千代子というのは、三田に住んでいる友枝の妹だった。実はこれこれの用事で電話したところ、と耕治が事情を説明し、ともかくひと安心したと伝えると、
—千代子ら夫婦はな、ゲ–トボ–ルなんかしてよ、達者でけっこうに暮しとるわ。わたしも、いっぺんゲ–トボ–ルやってみようかしらねぇ、フフ。
と応えた。その瞬間、耕治になぜか鬼灯が血を吐いたような映像が蘇ってきた。
—二、三日したら帰るよってな------。
友枝の声はどこか弾んでいた。
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